春が近づくと、庭にはオオイヌノフグリが咲き始める。どこにでも生える、ありきたりな小さい青色の花だ。見る人からすれば、雑草の一つかもしれないその花が、私は好きだ。その花が咲き始めるのを見て、「今年もきたなぁ~」と実感する。愛農高校の野菜部門で働かせていただき、夏野菜の育苗をするようになってからはさらにその思いを強くしている。さぁ、どんな種を蒔こうか、今年はあれを試してみようかなんて考えながら、いつもワクワクさせてくれる。私にとってはある意味、正月以上にとても大切な一年の始まりだ。オオイヌノフグリからはじまるこうしたワクワクした気持ちは、これからも大切にして生きていきたいなぁと思っている。
“ワクワクする未来を創りたい”大げさかもしれないが、それが私が願ってきたことの根本のように思う。1991年に生まれ、歩んできたこの29年間。私が生まれた時とほぼ同じくして日本はバブルが崩壊し、そこから今までの経済低迷の社会のことをどこかの誰かは「失われた30年」なんて言うらしい。「いやいや、私のこの29年間は確実に存在してますよ」と無意味なツッコミをしてみたくなる(笑)もちろん、あくまで経済的な定義の話でしかないのだけれど。勝手に失わないでほしいなぁと思ってみたり。
残念なことに、現代社会を少し勇気を出してのぞいてみると、悲壮感に満ちた社会のように思う。叩いてみれば、いくらでもほこりがまいでるかのような世界だ。自分のワクワクすることに正直にいることなんて、難しくてバカらしくて、心を閉ざす人も多いのかと思う。むしろその方が、正当な防衛反応かもしれない。
里の市にいる出店者さんはみんな、自分のワクワクすることに正直に生きている方々のように感じている。それは一人ひとりが自然体で、それでいて堂々としているからのようにも思う。同じ出店者の一人としては、ついしり込みしてしまう自分にも気付く。あぁ、自分は、まだ自分になりきれていないのだと気付く。もちろん、出店者さんそれぞれに、迷いや葛藤はあるのだろうとは思う。私が働かせていただいている愛農高校にだって様々な迷いや葛藤はある。もちろん、私自身にも。でも、そこも含めて、自分らしく生きる人とのつながり合い、支え合い。そういう場から気付きが始まって、一人ひとりの自分らしさが連鎖する。そんな未来を私は見たい。里の市のようなこんな小さな経済では「失われた○○年」なんて言われ続けるのかもしれないけれど、私は断然ワクワクしてしまう。その気持ちは、大事にしたいと思っている。そんなことを思いながら、なるべく毎週、愛農高校で育てた野菜を里の市に出させていただいている。
「暖冬の異常気象だ」「コロナウイルスだ」と世間は騒がしくても、今年も変わらずオオイヌノフグリが咲き始める。どこにでも生える、ありきたりな小さい青色の花だ。見る人からすれば、雑草の一つかもしれないその花のように、小さな里の市は今週の水曜日も、変わらずにまた開かれている。それがいつかの誰かの大きな気付きに、ワクワクに、つながることを信じたい。
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